先週は国慶節休みを利用してベトナム・ホーチミン市に旅行に行ってたため、更新をスキップしてしまいました。香港でも中国本土のように7日間も休みがあるわけではないのですが、10/1と2の2日間は祝日になっています。
私がホーチミンを旅行している間に、香港では返還後最大規模と言われるデモが発生していましたので、これに触れないわけにはいかないと思います。
以前も記事にしましたが、香港では現在、1997年の英国から中国への変換以降に導入された「一国二制度」によって保障されていた高度な自治が危機にさらされており、それに反対する学生を中心として香港の中心街などを占拠することによる抗議活動が行われています。
ことの発端は2017年に行われる次回の香港行政長官選挙において、中国政府が候補者の制限を加える事としたためです。本来、次回の選挙はこれまでと異なり香港住民による「直接選挙」が行われる予定でしたが、これと相反するわけです。この中国政府の決定に対して反対の意思を示すための抗議活動です。この一連のデモは、催涙弾をかわすために傘を使った映像が流れたところから、「雨傘革命(Umbrella Revolution)」と呼ばれています
(The Wall Street Journal日本語版のまとめの記事が非常にわかりやすいと思います)。
元々は10/1の中国の建国記念日である「国慶節」にデモを行う予定だったのですが、予定を早めて29(月)からビジネスの中心街である中環、金鐘や私が通う香港中文大学を占拠しています。これにより、主にパートタイム学生向けの授業が行われている中環にあるTown center(Bank of Americaが building)での授業は1週間まるまるキャンセルとなりました。一方でメインキャンパスでの授業は通常通り行われているようです。
私はデモが始まった29日の朝ホーチミンに出発したため、その様子を見ることができたのは10/2でしたが、開始から4日経ってもなお道路にはバリケードが張られ、多くの人が道路に座り込んで抗議活動を行っていました。私が見に行ったのは住んでいる場所から最も近い銅鑼湾です。
↑銅鑼湾(Causeway bay)駅を降りると、地下鉄乗り場を示す案内表示の人も傘をさしていました
↑歩道と車道を区切る柵には今回のデモのシンボルである黄色のリボンがあちこちに
↑「雨傘革命」と大きな文字
↑私と同じように、デモ活動の様子を見にきた人も多数。でも、彼らがFacebookやらLINE, Whatsappなどを使って現状を伝えているのだと思います
↑バリケードの中には多くの学生が
↑漢字が読める日本人にならなんとなく意味はわかります
↑支援物資の受け取り、供給場所と思われます
↑長期の座り込みで体調を崩す人もいるのでしょう
↑活動家が演説をしていました
↑次の日も多くの人がデモの様子を見に来ており、明らかな外国人の姿も多くみることが
↑この黄色いリボンの画像、多くの香港人がFacebookの自分の画像の欄に使用しています
本日で開始から1週間が経過したことになりますが、収束にはまだ時間がかかるような気がしています。
おそらくこの件に関連しているのでしょうが、中国本土ではinstagramが使用できなくなったようです。また、LINEと同じメッセージアプリである「Wechat」などに雨傘革命関連の記事を投稿すると削除されてしまうようです。instagramで"unbrella"や"雨傘(雨伞)"でハッシュタグ付けされている投稿は60,000件ほど、"demonstration"でも60,000件ほどでそれほど多いとは感じませんでしたが、"Protest"では件数が多すぎるためか検索エラーとなってしまいました。とはいえ、中国政府としてはこれが香港だけの問題ではなく、この動きが台湾やチベット、新疆ウイグル自治区など独立を求める動きがある地域へ波及することを恐れているものと思われます。
また報道によるデモの様子の伝え方・温度に香港と中国本土にも差があり、最も民主化寄りと思われる香港の新聞はFacebookも利用して事細かに情報を伝えているのに対して、中国本土の報道では1日に1つ記事があるかどうか、といったところで、且つその内容も「非合法の活動」として徹底的に糾弾する姿勢をとっています(当たり前ですが)。
両方の記事や香港にいる友人などの意見を踏まえた上で非常に個人的な意見を述べさせてもらうとすれば、香港の人たちには是非とも抗議を続けて高度な自治を維持してほしいと思う一方で、中国政府の言い分である「これは内政問題」ということにもある程度賛同でき、外部からあれこれいうことはできないのではないかと思っています。テクニカルには香港は「中国」なのですから。
また一部報道では「天安門の繰り返し」が起こるのではないか、との記事も見かけましたが、25年前の中国と現在の中国では世界における立場が全く異なること、また発生している場所が首都・北京ではなく遠く離れた香港であることからそのようなことはせず、対話によって解決策を見出す方向で落ち着くものと思っています。
それにしても、もしこの時期に香港におらず北京にいたらこれほどこの事件に注目し、ニュースを(読めない広東語の記事も含めて)しっかりと読み、考えることをしたかどうか、正直不明です。ある意味歴史的な瞬間に身を置けていることに興奮を覚えるとともに、中国・香港の関係について改めていろいろな人に聞き、見分を広げるチャンスとしたいと思います。