しばらくあいてしまいました。
MBA後も引き続き中国を深掘りしたくてニュースや本は常にチェックしています。直近で読んでみて面白かった本があったのでこちらで紹介いたします。
この本のテーマは、中国および中国人の言動の背景にあるものを歴史からひも解いていくという壮大なものです。しかしながらそれを新書にまとめてくれているので、ある程度本に親しみがあり中国に関しての予備知識さえあれば十分読みこなせます。逆に言うと、そうでない方、特に読書をあまりしない方には表現が少々難しく感じられるかもしれません。
中国では共産党が支配する共産主義国家であるはずなのに資本主義的な要素が多くを支配している、実質2つ(以上)の中国があるにも関わらず1つの中国を言い張る、反日なのに日本に来て爆買いをするなど、一見すると矛盾だらけのことがあふれています。しかしながら、それらを許容するための論理が彼らにはあり、それを歴史的な流れに求めるという内容です。以下は、私が特に興味を持った2点について触れていきます。
全ては二元的構造になっている
中国では儒教が国を治める基となっており、儒教を修めていないものはすなわち「庶民」とされており、修めている者、すなわち「士」とは明らかに異なる扱いだったそうです。その士は科挙ができて以降は「官」であり、この両者は空間的には超えることのできない壁があったようです。だからこそ科挙の受験者には家族のみならずその親族一同が大きな期待を寄せる一大イベントとなっているようです(現代の中国の大学受験にも通じるところがあるかと思います)。
また世界のとらえ方も同じです。今でいう世界を表す言葉として「天下」という言葉がありますが、これはさらに「華」と「夷」の2つに分けられていました。そしてこの「華」と「夷」を分けていたものは儒教で、儒教を修めたものが支配する地域は「華」、そうでないところは「夷」とされていました。
これから、現在の社会主義市場経済を理解することも可能で、共産党(士であり儒教を修めた指導層)が社会主義政治をリードし、一方で一般市民(庶民)が市場経済をリードするというロジックです。すなわち全く違う階層なので違うことが行われていても矛盾はしない、ということです。
中国とは現代のNation Stateに合わせるために最近作られた言葉である
そもそも中国には上述の通り天下という概念の基、華と夷に分けられた世界しかありませんでした。華は夷に対して常に上位であり、例えば華と夷(例えば日本やヨーロッパ)との交易は彼らにとっては対等なものではなく、夷からの貢ぎ物とそれに対しての返礼という構図としてとらえられていました。
ところが19世紀から20世紀にかけて、列強が大陸を支配するようになるとこのロジックがもはや成り立たず、中国はそれら列強と横並びということを受け入れざるを得ない状況となってしまいます。しかしながら、これまで西洋的なnation stateという概念がなく自国を表す言葉も持っていない状態でした。そこで、日本への留学経験がある梁啓超という人が「中国」という言葉を考え出したそうです。
実は2点目は興味興味深い点ではあるものの、私自身いまだにきちんと消化できていません。天下を支配していた王朝(清、明など)と国家とでは何が彼らにとって異なるのか、そして国家を示す言葉がなかったものの王朝を示す言葉があったのだから必ずしも「中国」という言葉の開発はエポックメイキングな出来事ではないのではないか、など、1度読んだだけではなかなか理解が難しい本です。
ともあれ、1点目の二元構造の部分については非常にわかりやすく、おそらく現代においても何かしら矛盾が発生した時にはこの点に立ち返ってこじつけることになるのではないかと思っています。
そのことを理解できたのは大きな収穫です。